沈黙

2022年12月6日

今日で、おかげさまで43歳。

この一年間は、正確には11か月だけど、今年の一月の半ばからの私は、今まで味わったことのない時間を過ごした。

「その日」まで、私こんなに幸せでいいのかな~とか、幸せ過ぎてむしろ怖い~なんて考えていた。

でも、「その日」に感じた違和感が、確信へと変わった時から、毎日「どうやって穏便にこの世からいなくなることが出来るのか」ということだけ、ひたすら考えてた。

自分が大事にしてきたこと、譲ることのできないこと、諦めの中の希望、そんな自分の中で一番手放したくないと考えていたことを、手放さなくてはいけない事実に直面した時、どうやっても、何度考えても、行き着くところは「自分がこの世からいなくなること」だった。でも、それすらも選択できない。

ただ惰性で、毎日を過ごすことしかできない。

空気を変えようとたった3日間だけ仕事を休んでみることが精いっぱいで、そしてやはり何も変えることが出来なかった。

自分の中の怒りの感情を消化できない以上は、口を開きたくない。今何を話しても、相手を傷つけることしか言えないから、話しかけることが出来ない。

そして、そんな自分をそのままにしている相手が許せなくてまた怒りの感情がわいてくる。

泥沼にはまって呆然としているうちに、足元の泥が乾いて抜けられなくなってしまった。

毎日をやり過ごすために、何も考えないようにしているうちに、もう12月。

分からない。

どうしたらいいのか。

私はただ、「大丈夫だよ。」って言ってほしいだけなんだけど。

夫婦って何なの?家族って、家庭って何?

何のために仕事してるの?

お金の問題?時間がない?

「今」を大事にしろって?

将来の夢や、計画を話し合うことのできない人を選んだ私自身の問題?

自分でどうにかしろって?

・・・とまあ、非常にプライベートなことで私は地団太を踏んで、前に進めず、人に話しても意味はなく、久々のこの場でつぶやくしかないという無様な状況。

仕事は分担して、きちんとプライベートを守るべきだし、次の世代を育てるためにどんどん気持ちを外に向けていくべきだと思う。

ということで、一人息子が高校を卒業する時までに、あと八年後までに、色々区切りをつけたいと一人で考える今日この頃。そしてそれを伝えるべき相手に伝えられるか、伝えるべきか否か、足を浮かせた状態…バカバカしい。

25年前に亡くなった母に相談したら、なんて言うかな。

2021年8月。

2021年8月23日

私の育った家では、8月15日は「敗戦の日」だと教わっていた。そしてそれがごく当然のことだと思っていた。ところが社会に出てみたら、どこもかしこも「終戦の日」だと言う。

一時期は、戦争に勝ち負けなどないのだから、「終戦」でもいいじゃないかと考えていた。しかしやはり、「負け」を認めることで自らの過ちを認め、失敗に学び、新しい一歩を踏み出すことが出来るのだから、「敗戦の日」と呼ぶべきだと思い直した。

しかし今度は、何故、8月15日を記念日としているのかという疑問が出てきた。

世界的には、日本が無条件降伏をしたのは9月2日。8月15日は、天皇が国民に戦争をやめることをお知らせしただけ。なんだか、こういうところからも、日本人の好きな精神論的とらえ方がうかがえる。

しかも天皇は、「負けを認める」なんてことは言ってない。みんな頑張って戦ってきたけど、どうも被害がひどすぎるし、敵は新しい爆弾で罪のない国民をたくさん殺すから、死に絶えないためにも今はとりあえず復興に力を入れよう、みたいな…

https://www.nishinippon.co.jp/item/o/433420/

ポツダム宣言だって、前首相がろくに読んでなかったからって、私には批判できない。私だってまともに読んでも覚えても、理解してもいないのだから。

大日本帝国 降伏文書(1945年9月2日調印)

最近そのことを考えていて驚いたのは、父親を戦地で亡くし、反戦や天皇制について勉強会や講演会によく足を運んでいた亡き母からも、9月2日やポツダム宣言のことを聞いた覚えがないこと。私がその話題を話し合うには幼な過ぎたのか?それとも私がその話題に興味がなくて覚えていないだけなのか?

それなら私は、子どもが小学生であっても、その話を少しづつしていきたいと思う。

カエルの声

2021年5月5日

私が子供のころ住んでいた家は田んぼの真ん中にあって(周りを田んぼに囲まれていて)、夏はカエルとなんだかよくわからないジージー鳴く虫の声がうるさくて、しかも壁についている扇風機は回しても熱風が送られてくるだけで、毎晩死にそうになりながらベッドの上で汗だくになって寝ていた。

それでも、いつからかカエルの声はあまり聞こえなくなっていたように思う。

今はまた、毎晩カエルの合唱を聞きながら過ごしている。

去年は息子がかわいがっていたカエルたちが、家の中で大合唱していたけど…

さて本題はここから。さいきん、涙腺が緩くて困るな、と。

小学生の頃は姉たちにいじめられて毎日のように泣いていた。哀しくて母親にすがればまたそれを姉に指摘されるので、一人で泣いていた。だから、出来るだけ感情を表に出さないようにしようと決めて、驚いても驚き過ぎないように、うれしくても喜び過ぎないように、そして悲しくても泣かないようにしてきた。母親が亡くなった時も、あまり泣かなかった。ドイツに行ったときに、自分の気持ちを表せなくて、よく相手を困らせてた。子供は4人欲しいな~なんて夢を抱きながら、妊娠できないことに、5年耐えてた。息子を妊娠して、エコーの写真を見て初めて、うれし泣きをした。子供が生まれて、やっと自分の素を出せるようになったと思う。子供の前では、素直な自分で居たいと思うから。

ここ最近は、少しでも感情に動きがあると涙がにじんでくる。可笑しくて仕方ないことを人に説明するとき、ずっと涙をぬぐってる。そして夜、まだ仕事をしている8時ごろになると、なぜか無性に泣きそうになる。・・夜哀しくて仕方ないのは、今の世界の不安を感じてるからかな?ただの情緒不安定なのか、もともと涙腺が弱かった自分に、戻っているだけなのか、分からない。

今日は、「原爆の図」のある丸木美術館の1日限定公開動画を午前中に見て、ほぼ一時間泣いていた。ホントは少し寝よっかな~なんて思っていたので、布団の上に転がって、スマホを布団と座布団で適当に見やすい角度に固定して、ダラダラ見るつもりだった。まあある意味、ダラダラしながら見たことになるのだけど(笑)

あと10分で終わるぞ、というときに一人遊びに夢中になっていた息子が少し手持ち無沙汰になって寝室へ遊びに来たので、一緒に見ながら、原爆の話をした。放射能の説明は、少し難しい。そしてついでに、憲法記念日の話をした。みんなで決まり事を作ること、みんなで決めたことを変えたいときにどうしたらいいかということ、もしクラスの中で何か決めたいとき、何人が賛成したらいいことにする?とか、私も自分で言いながら少し混乱してたけど、戦争はしないよって決めたことを、変えたい人たちがいるんだってことは、伝わったかな?

夕方、仕事の休憩時間にTwitterで、三人家族で感染症に罹り、母親を亡くした人の投稿を読んで、本当に苦しかった。最善を尽くしていたのに、感染してしまった自分を責めるその人が、また前を向けるように願ってやまない。

そして思う。感染症で高齢者が亡くなることに対して、「寿命じゃないの?」なんて言う人は、私は絶対に信用しない。たとえその人が普段、どんなに素晴らしい行いをしていたとしても、絶対に信用しない。確かに寿命で亡くなる人も中にはいると思う。でも、決してそれは軽々しく言ってはいけないひと言、それを自覚しながら言う人は、どんなにやさしい言葉で子供を愛でようと、信用はしない。日ごろの行いの評価はするけどね。

今日のお昼過ぎに、電話で楽しくおしゃべりをした、私のことを娘のようにかわいがってくれる90歳になる私の大切な人が、仮に今流行っている感染症に罹って亡くなった時のことを想像するだけで、悲しくて仕方がない。

ついでに、私は日本で暮らす外国から来た人たちのことを、「ガイジンだから」と馬鹿にする人も、絶対に信用しない。どんなに仲良く普段おしゃべりしようと、心の中では決して、その人のことを信用しない。海外から移住してきて、日本語を話し、汗を流して働く人たちを「尊敬する」と言うまでは。

今日もやはり、涙をこらえながら夜を過ごす。

雨の音

2021年4月29日

降りしきる雨の音を聞きながら、ここ数日あまりの忙しさに開くことが出来なかったパソコンの前で、昔のブログ記事なんか読んでみたりしながら、何書きたかったんだっけ…と思考停止(笑)

あまりにも毎日の情報量が多いから、ニュースを追うだけで時間が過ぎていく。

そして今は、野菜畑と牧草畑と田んぼの準備と全部が重なって一年で一番忙しい時期。私はあちこち痛めた体を悲しみながら、マイペースにしか動かないので、旦那がどれだけ仕事の段取りでイラついていても他人事、農家の嫁としてはかなり使えないのは承知してます。

牛の乳を搾りながら、時々思い出してはイラつくことがあるので、軽く書いておこうかな。

八方美人を自負する(誰とでも、同じ温度で付き合いたいと思っている!)私が、どうしても穏やかに話すことが出来ない人、もう20年以上前から付き合いのある35歳ぐらい年上のおじさんのこと。

その人はことあるごとに「若い人に期待してる」と言いながら、一緒に仕事してみたら、若者の意見なんか聞きやしない。しまいには「私の長年の経験から言わせてもらうと」って、こっちの意見を封じ込め・・・おかげで私の心の中はちゃぶ台ひっくり返す勢いでした。それでも、冷静に気持ちを伝えるためにメールしてみたり、電話してみたり、私なりにアプローチを尽くしてみましたが、直接会ったときに肩をポンポンたたかれて、「まあ、そんなに気にしないで」の一言。完全に頭の中で何かが切れる音が聞こえました。その後の会議中の私の態度は、毎回怒りに震えるのを抑えつつ、半分諦めモードだったように思います。結局その仕事はおじさんの思惑の強く出た結果となり、そしてその仕事の進行過程で優秀な人材が現場から離れて行って、私は指をくわえて見ているだけ…思い出すたびに気分が悪くなるのです。

これ、教会の中の話ですが、おかげで宗教って何だ、世代交代ってなんだ、って考えることが出来るので、100万歩譲っていい経験だと思ってます。

私たち、今40代の世代は、戦後の日本を盛り上げてきた70~80代を親に持ち、がむしゃらに働く親たちを見ながら、自分たちの歩み方を模索してきたものの、元気すぎる先代たちにスムーズな世代交代をしてもらうことが出来ず、気付けば世の中をリードするのは既に次の世代、という立場の人が多いのではないかと私は勝手に考えています。私個人のことで言えば、表に立つよりも後ろで待機していてフォローする方が得意なので、構造としては悪くないのですが。

「まずは知ることから」というフレーズで、様々な問題の勉強会をしていると、あまりにも多い諸問題の勉強だけで終わってしまって、結局問題解決の行動に繋がっていないということがあるように感じていたので、最近は若い世代を育成しているアースウォーカーズや、普通の人が普通におかしいことに声をあげることが出来る仕組みづくりをしているCall4の活動に注目しています。

アースウォーカーズHP

=TOP=(index.html) of EarthWalkers

Call4 HP

CALL4

17歳

2021年4月18日

姉の家の子が17歳の誕生日を迎えた事を知って、少し感傷に浸っていた。

私の母は私が18歳になる1ヶ月と少し前に天国へ旅立ってしまったから。高校3年生の秋。

いま私の息子は今年9歳。あと、10年も無い。

私は全寮制の高校に通っていたし、母と話す機会は充分あったとはとても言えない。対等の立場で、もっと色んなことを話してみたかった。

だからせめて息子とは、出来るだけ対等に話すようにしている。出来るだけ素直に、親子という関係よりも、友達に近い感覚で…

時々は、親として、大人として、しっかりしなきゃ!って自分を揺さぶる時もあるけど!

息子には、15歳になればもう大人の仲間入りだって教えてたりもする。1人でも生きていけるようになって欲しい。こんな母でごめん、精一杯のサポートはするよ。