八月の夜

2019年8月13日

線香のにおいをかぐと、無性にタバコを吸いたくなる。

「百害あって一利なし!」って叫ぶ喘息持ちだった父親の影響で、高校を卒業するまでは、私もたばこのにおいに過剰に反応してたと思う。

でも、大学一年生も終わるころ、友人のお父さんのお葬式の空気に耐えきれなかった。ものすごく、おいしそうにタバコを吸う人だった。仏壇に置いてあった、いつものたばこを一本、もらって吸ってみた。味がどうだったのか、むせたのかは覚えてない。とにかく、違う「空気」を吸いたかった。

人の死と向き合うときや、理不尽なやるせなさを強く感じる時、タバコを吸いたいなと思う。

八月はそんな空気にあふれているようにも思う。

ここのところ、この国に充満してる空気にも、息苦しさを覚える。

 

大学生活の中で学校と、バイト先と、家を行き来するだけの生活に疲れて、ドイツに行こうと思った。私のことを誰も知らないところで、何ができるのか試してみたかった。小さいころから親しんできた、「アジア」以外のところに行ってみたかった。

9か月の滞在で思ったことは、地球の裏側まで行っても、人間は結局おんなじなんだということ。同じように泣いて笑って喜んで怒って、ただその表現の仕方が違うだけ。でも、それでも、「土台が違う」とも思った。感じたこと、考えたことを人に伝える方法、お互いの意見を聞き合うこと、そして結論から行動に移すこと。私にもできると思って帰ってきたけど、結局できないままでどんどん年月が過ぎていく。手紙を書いて出せば、「それであなたはどうするの」って問いかけが返ってくる。

手紙を書こうと思って紙を前にするたびに、自問自答が始まって結局書けないまま。

数年ぶりの手紙には、「うまく説明できない」って書くのが精いっぱいだった。

沈黙に意味を見出すのもいいよ、怒りや悲しみを水に流してただ笑いあうのもいいよ、でもそれは、誰にでも通用することじゃない。喜怒哀楽の激しい人、常に論理的に話し合うことを大切にする人、いろんな人がいるから面白いし、新しい道が開けるんじゃないのかな。自分のことだけを信じたり、居心地のいい場所にだけ座り込んでちゃ何にも変わらないかもしれないよ。

「国」なんてものは、結局なんなんだって思ったりもする。代表する立場にある人には、ぜひもっと「大人の本気」見せてもらいたいな。今のこの国は、みんなで子供のケンカばっかしてるように見えるよ。

・・・最近あんまり話を遠回しにしすぎると通じないって分かってるんだけど、直球で投げる技術もないから今日はこんな感じで(笑)しかも自分は本気を出してないじゃんってまた自問自答が始まる。