2021.2.11

2021年2月13日

クリスマスもそうだったけど、「あたりまえ」から離れてみると、違うことが分かったりする。

私にとってクリスマスは、「家族で教会へ行く日」以外のものではなく、ほかの予定を入れるなんて選択肢はなかった。でも、仕事を始めてクリスマスの日に、自分が教会に行くために休めば、ほかの人が代わりに働かなければならないのだと知った。ほかの人を働かせて、自分だけ楽しむクリスマスって何だろうって、思うようになった。もっといろいろな選択肢があってもいい。そもそも、12月24日の夜でなくてもいいかもしれない。

2月11日もやはり私にとっては大切な日で、天皇制や憲法、宗教について考える日で、20年前からできるだけ2.11の集会には参加するようにしてきた。いつも学ぶことは多い。でも、息子が成長するにつれ、今まで学んできたことを、どう伝えるかという課題が大きくなってきた。「建国記念の日」として当たり前にお祝いしようという空気の中で育つ子供に、どうやって自分の中の違和感を伝えられるんだろう。

今年は、感染症のこともあって集会には参加せずに過ごそうと思っていた。息子とスキーに行き、車の中で説明を試みるものの…特に疑問に思ってもいないし、だからナニ、っていう関心のなさに、言葉は続かない。

まずは「建国記念の日」を説明して、なんでそれを違うと思うのか言いたかったけど、難しすぎる。

そして、世の中の人がいかに何も疑問に思っていないのかをしかと感じる。2.11集会は、会場の中ではあんなにもみんな熱い思いを語り合っているのに。

いつもそう。憲法記念日も、集会の講演にみんな感動し、仲間同士で語り合い、気持ちも新たにさあ…家に帰ればどこ吹く風。いや、家の中ではまだ熱は冷めないかもしれない。でも、職場に出たら?街に繰り出して誰かに伝える?

昔からそう。どの集会もそう。教会だってそう。

もちろん、あまりにも熱い気持ちのまま日常にいろんな思想や理想、信念をぶつけられれば誰でも距離を置きたいと思うかもしれない。でも、違うと思うことを、違うと思うよって、私はこう考えているから、同じようにできないよっていうだけでも、当たり前に伝えられるようになりたい。日本って国は、それができない空気があると思う。

今タイムリーな課題は、新しいワクチンについて、かな。私には、正直「打たない派」の人の圧力が怖い…