カエルの声

2021年5月5日

私が子供のころ住んでいた家は田んぼの真ん中にあって(周りを田んぼに囲まれていて)、夏はカエルとなんだかよくわからないジージー鳴く虫の声がうるさくて、しかも壁についている扇風機は回しても熱風が送られてくるだけで、毎晩死にそうになりながらベッドの上で汗だくになって寝ていた。

それでも、いつからかカエルの声はあまり聞こえなくなっていたように思う。

今はまた、毎晩カエルの合唱を聞きながら過ごしている。

去年は息子がかわいがっていたカエルたちが、家の中で大合唱していたけど…

さて本題はここから。さいきん、涙腺が緩くて困るな、と。

小学生の頃は姉たちにいじめられて毎日のように泣いていた。哀しくて母親にすがればまたそれを姉に指摘されるので、一人で泣いていた。だから、出来るだけ感情を表に出さないようにしようと決めて、驚いても驚き過ぎないように、うれしくても喜び過ぎないように、そして悲しくても泣かないようにしてきた。母親が亡くなった時も、あまり泣かなかった。ドイツに行ったときに、自分の気持ちを表せなくて、よく相手を困らせてた。子供は4人欲しいな~なんて夢を抱きながら、妊娠できないことに、5年耐えてた。息子を妊娠して、エコーの写真を見て初めて、うれし泣きをした。子供が生まれて、やっと自分の素を出せるようになったと思う。子供の前では、素直な自分で居たいと思うから。

ここ最近は、少しでも感情に動きがあると涙がにじんでくる。可笑しくて仕方ないことを人に説明するとき、ずっと涙をぬぐってる。そして夜、まだ仕事をしている8時ごろになると、なぜか無性に泣きそうになる。・・夜哀しくて仕方ないのは、今の世界の不安を感じてるからかな?ただの情緒不安定なのか、もともと涙腺が弱かった自分に、戻っているだけなのか、分からない。

今日は、「原爆の図」のある丸木美術館の1日限定公開動画を午前中に見て、ほぼ一時間泣いていた。ホントは少し寝よっかな~なんて思っていたので、布団の上に転がって、スマホを布団と座布団で適当に見やすい角度に固定して、ダラダラ見るつもりだった。まあある意味、ダラダラしながら見たことになるのだけど(笑)

あと10分で終わるぞ、というときに一人遊びに夢中になっていた息子が少し手持ち無沙汰になって寝室へ遊びに来たので、一緒に見ながら、原爆の話をした。放射能の説明は、少し難しい。そしてついでに、憲法記念日の話をした。みんなで決まり事を作ること、みんなで決めたことを変えたいときにどうしたらいいかということ、もしクラスの中で何か決めたいとき、何人が賛成したらいいことにする?とか、私も自分で言いながら少し混乱してたけど、戦争はしないよって決めたことを、変えたい人たちがいるんだってことは、伝わったかな?

夕方、仕事の休憩時間にTwitterで、三人家族で感染症に罹り、母親を亡くした人の投稿を読んで、本当に苦しかった。最善を尽くしていたのに、感染してしまった自分を責めるその人が、また前を向けるように願ってやまない。

そして思う。感染症で高齢者が亡くなることに対して、「寿命じゃないの?」なんて言う人は、私は絶対に信用しない。たとえその人が普段、どんなに素晴らしい行いをしていたとしても、絶対に信用しない。確かに寿命で亡くなる人も中にはいると思う。でも、決してそれは軽々しく言ってはいけないひと言、それを自覚しながら言う人は、どんなにやさしい言葉で子供を愛でようと、信用はしない。日ごろの行いの評価はするけどね。

今日のお昼過ぎに、電話で楽しくおしゃべりをした、私のことを娘のようにかわいがってくれる90歳になる私の大切な人が、仮に今流行っている感染症に罹って亡くなった時のことを想像するだけで、悲しくて仕方がない。

ついでに、私は日本で暮らす外国から来た人たちのことを、「ガイジンだから」と馬鹿にする人も、絶対に信用しない。どんなに仲良く普段おしゃべりしようと、心の中では決して、その人のことを信用しない。海外から移住してきて、日本語を話し、汗を流して働く人たちを「尊敬する」と言うまでは。

今日もやはり、涙をこらえながら夜を過ごす。