ことばにすること
2020年6月24日
戦後の日本で、できなかったこと、なんでこんな風になっちゃったんだろうって、よく思うけど、やっぱりそれは、言葉にしてこなかったからなんじゃないかと思う。
辛いこと、悲しいこと、自分がしてしまったこと、誰かにされたこと、思い出したくもないこと。
言葉にできないときももちろんある。言葉にすることで、再び傷つけられる、傷つけることもある。
でもやっぱり、きちんと誰かに伝えることで、それが自分にとってどんな感情で自分を縛り付けているかを知り、同じ過ちを犯さないための大事な糧となるはず。
戦争というあまりにも非日常のこと、でも、この地球の上では今も続いている日常でもあり、やめるべきこと、もっと私たちは共有しなくてはいけない。隣に座る家族や友人と、遠く離れた画面の中の誰かと。
戦地で亡くなった母方の祖父のことを私はよく知らないまま。戦地で戦った父方の祖父は何も語らずにもうずっと前に逝ってしまった。でも、母方の祖母が戦時中のことを語りながら「悔しい」と言ったことは忘れない。大事な馬のために、兵隊が荷物を担いで歩いたこと。大切な馬と共に最前線で戦った父方の祖父が戦後馬の話に触れなかったこと。
本当に戦いは終わっているんだろうか?今は戦後なのだろうか?
子どもたちに何を伝えればいい?いじめや嘘ばかりの大人の社会を見ながら、子どもたちはまっすぐ育ってくれるだろうか?
最近読みかけている本が2冊。
カロリン・エムケ著 浅井晶子訳 「なぜならそれは言葉にできるから」 みすず書房
ブレイディ・みかこ著 「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 新潮社
人種差別の問題や、沖縄の慰霊の日に心を寄せて。
星の一つに。
2020年6月17日
数日前に、20年以上お世話になった人が亡くなった。
69才の誕生日の3日前に。癌だとはっきりわかってから4ヶ月の、あっという間のお別れだった。
いつも、話をするときは直球で、ウラオモテなどなく、「僕はこう思うんだけど、あなたはどう思う?」って歳の差なんて関係なく聞いてくれる人だった。
ここ数年特に、「若い人に期待してる」って言いながらすり寄ってくる割に、いざ話し合いの場になるとこちらの意見など「長年の経験」を盾にさらりと流してしまう「オトナ」と関わることが多く、彼の姿勢はいつも私を新鮮な気持ちにしてくれた。
夜になると無性に涙がこみあげてくるのに自分でも驚く。
わたしにとって、とても貴重な存在だったことに気づく。
どうか、安らかな眠りが守られますように。
残された家族の上に、神様の慰めと恵みが、豊かにありますように。
お別れに行った日は、静かな雨音の気持ちのいい日だった。
そして今日は美しい夜空を見上げて、寂しさをかみしめたいと思う。
次の世代と、きちんと向き合うオトナでいたい。