2021年8月。

2021年8月23日

私の育った家では、8月15日は「敗戦の日」だと教わっていた。そしてそれがごく当然のことだと思っていた。ところが社会に出てみたら、どこもかしこも「終戦の日」だと言う。

一時期は、戦争に勝ち負けなどないのだから、「終戦」でもいいじゃないかと考えていた。しかしやはり、「負け」を認めることで自らの過ちを認め、失敗に学び、新しい一歩を踏み出すことが出来るのだから、「敗戦の日」と呼ぶべきだと思い直した。

しかし今度は、何故、8月15日を記念日としているのかという疑問が出てきた。

世界的には、日本が無条件降伏をしたのは9月2日。8月15日は、天皇が国民に戦争をやめることをお知らせしただけ。なんだか、こういうところからも、日本人の好きな精神論的とらえ方がうかがえる。

しかも天皇は、「負けを認める」なんてことは言ってない。みんな頑張って戦ってきたけど、どうも被害がひどすぎるし、敵は新しい爆弾で罪のない国民をたくさん殺すから、死に絶えないためにも今はとりあえず復興に力を入れよう、みたいな…

https://www.nishinippon.co.jp/item/o/433420/

ポツダム宣言だって、前首相がろくに読んでなかったからって、私には批判できない。私だってまともに読んでも覚えても、理解してもいないのだから。

大日本帝国 降伏文書(1945年9月2日調印)

最近そのことを考えていて驚いたのは、父親を戦地で亡くし、反戦や天皇制について勉強会や講演会によく足を運んでいた亡き母からも、9月2日やポツダム宣言のことを聞いた覚えがないこと。私がその話題を話し合うには幼な過ぎたのか?それとも私がその話題に興味がなくて覚えていないだけなのか?

それなら私は、子どもが小学生であっても、その話を少しづつしていきたいと思う。

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